札幌市東区。 かつて見渡す限りの広大な玉ねぎ畑が広がっていたこの場所に、地域の人々に愛され続けている銭湯があります。
それが、「こうしんの湯」です。
現在、この看板を守り、経営を担っているのは二代目の代表 岩波岳洋。
今回は岩波社長に、こうしんの湯の歴史と、変わりゆく街の中で「風呂屋」としての未来について、じっくりとお話を伺いました。
心の豊かさを取り戻す場所に「こうしんの湯」の意味
「恒産(こうさん)なくして、恒心(こうしん)なし」
これは中国の古典『孟子』の言葉で、これから名付けたと亡き父は教えてくれました。
「恒産」とは、日々の安定した仕事や暮らしのこと。そして「恒心」とは、何事にも揺るがない、穏やかで正しい心のことです。
「暮らしが不安定になれば、どうしても心に余裕がなくなってしまう。だからこそ、まずはしっかり働き、生活の基盤を整えること。そうして初めて、人は他人に優しくでき、自分らしく誠実に生きられる」という意味。
父がこの場所を「こうしん(恒心)の湯」と名付けたのは、ここを訪れる皆さまに、日常の忙しさや疲れを一度リセットし、「心の豊かさを取り戻す場所」にしてほしいという願いがあったからです。
外で一生懸命に働き、家族を支え「恒産」を築こうとする人々。
張り詰めた心が、ふっと緩みリラックスする瞬間。そして「明日もまた頑張ろう」と思える心の余裕。
それこそが、父の目指した「こうしんの湯」の姿です。
創業の記憶|玉ねぎ農家から「風呂屋」への大きな転換
岩波家は、代々この土地で玉ねぎ農家として土と共に生きてきた家系です。現在「こうしんの湯」があるこの場所も、かつては見渡す限りの広大な畑でした。
大きな転機が訪れたのは、1999年のこと。 創業主である父が、ある業者から「この立地なら温浴施設としての可能性がある」という提案を受けたのです。
父は悩み抜いた末に、全くの異業種へ、大きな決断を下しました。
当時、私はまだ小学生。父はしばらくの間、玉ねぎ農家と風呂屋という二つの草鞋(わらじ)を履いていました。
蓋を開けてみれば、その決断は見事に的中。開業当初から「こうしんの湯」は多くのお客様で賑わいました。
突然訪れた、承継のとき
先代である父は、病に倒れてからも不屈の精神で経営を続けてきました。しかし2023年、自宅での転倒をきっかけに、少しずつ記憶にかげりが見え始めます。
「一緒に過ごしていると、さっき話したことを忘れていたり、会話の端々に違和感が生じたり。端から見れば元気そうでも、家族としては『その時』が近づいていることを肌で感じるようになりました」
父自身も引き継ぎを意識し、少しずつ準備を進めていた矢先のこと。父は急逝しました。
心の準備が整わぬまま、私は突如として、経営の舵を握ることとなったのです。それが2025年のことでした。
「岩波家の長男」としての宿命と、二代目の覚悟
物心ついた時から、私は周囲からひとりの個人としてではなく、「岩波家の長男」として見られることが多くありました。
農家の家系ゆえの風土もあり、「いつかは自分がこの家を継ぐのだろう」という感覚は、言葉にするまでもなく幼い頃から体に染み付いていました。
高校卒業後、東京の学校で飲食業界のことを学び、そのまま都会で料理人として生きるつもりでした。
しかし、父が倒れたという報せを受け、慣れ親しんだ北海道へと戻ってきました
まずは事務や経理といった現場の裏方から学び、一歩ずつ父の背中を追いかけてきました。
実は、亡くなった父もまた、かつては寿司職人を目指して修行に出ていた時期があったそうです。 父も私と同じ長男でした。結局、修行を辞めて実家の玉ねぎ農家を継いだのですが、私が飲食の道を離れてここに戻ってきた経緯と、どこか重なるんですよね。
「父もきっと、やりたいことを胸にしまって、『守るべきもの』を背負っていた時期があったんだろうな」と。
今、こうして父の跡を継いでいると、そんな父の背中を、以前よりも少しだけ近くに感じられる気がしています。
代表岩波のもうひとつの顔
普段の岩波社長は、どちらかといえば控えめに話す、落ち着いた男性。しかし、そんな彼には「もう一つの顔」があります。それは、スポットライトを浴びて大きな声を張り上げる「舞台役者」としての姿です。
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演劇を始めたのは、29歳の頃でした。きっかけは、札幌の街中でふと目にした「演劇シーズン」の大きなパネルです。
「面白そうだな」と、何かに吸い寄せられるように劇場へ足を運んだのですが、そこで目にした圧倒的な熱量に、一瞬で心を奪われてしまいました。
その後、「老若男女、誰でも参加できる」というワークショップの門を叩いたのが、表現者としての私の始まりです。
普段の私はこんな喋り方なので、舞台に立つと周りからは「あんた、そんなに大きな声が出るんだね!」ってよく驚かれますよ(笑)。
もともと映画や音楽、サブカルチャーが大好きで、自分の中にある感性を表現できる舞台は、私にとってかけがえのない大切な場所なんです。
今振り返ると、調理も自己表現のひとつ。だからこそ、舞台に立つこととどこか通じるものがあるのかもしれません。
継承と進化|こうしんの湯の未来
27年という歳月を積み重ねてきた「こうしんの湯」。
いま、二代目の岩波社長が見据えているのは、単なる施設の維持ではありません。
目まぐるしく変化する時代だからこそ、先代が屋号に込めた「心の豊かさを取り戻す場所(恒心)」という原点に立ち返り、人間味あふれる場所であり続けること。それが、彼が描き出す未来の地図です。
私が大切にしたいのは、単なるお風呂屋を超えた「社交場としてのコミュニティ」をつくることです。
「かつての床屋さんのように、ここに来れば誰かに会える。何気ない会話から、街の情報が自然と集まってくる。そんな場所にしたいんです」
スマホ一つで何でも完結し、挨拶さえも憚られるような、繋がりが希薄になった現代。しかし、私が大人になって社会を経験する中で痛感したのは、やはり人とのコミュニケーションが不可欠だということでした。
人との接し方を知り、言葉を交わし、信頼を築く。
そうした経験がなければ、いざという時に人から信用される人になっていきません。
だからこそ、今の子供たちや若い世代にも、この場所で「生きた会話」を経験してほしいと考えています。
湯上がりに大人も子供もお年寄りも、ふと境を越えて言葉を交わせる空間。「ここなら、ちょっとしたお喋りも自然だよね」と思える、人の温かさが残る場所。
お湯で体を温めるだけでなく、会話を通じてお互いの心をあたたかくする。
そんな「人間らしさ」を取り戻せる文化を、この場所から新しくつくっていきたいです。
そして、継承という意味で、私たちが守り続けたいもの。それは、これまで紡いできた「こうしんの湯らしさ」です。
お客様からよくお褒めいただくのは、20年以上が経過したとは思えない施設の清潔さです。これは決して偶然ではありません。「お客様に気持ちよく過ごしてほしい」というスタッフ一人ひとりの細かな気づきの表れです。
設備面でも札幌市内でも希少な「炭酸泉」は、体の芯から温まると多くの方に愛されています。
また、圧倒的な広さを誇る男湯サウナは、今や当店の大きな代名詞となりました。
そして、何よりの自慢は「人」です。
創業当初から支えてくれているベテランをはじめ、スタッフ同士はまるで親戚のような温かな距離感でつながっています。
マニュアルだけでは語れない、血の通ったおもてなし。スタッフの笑顔がお客様の笑顔を呼び、その循環が27年という歳月を形作ってきました。
これからも先代が築き上げた活気ある風景を大切に守りながら、時代の変化に寄り添い、新しい風を吹き込んでいきます。
どうぞ、これからの「こうしんの湯」も、温かく見守っていただければ幸いです。